鈴木利和: 2008年3月アーカイブ
この手の本は今まで何度かあった
もっとも嫌だと思っていた父親の影響を受けていて、そのことを拒否してきたのだけれども、自分自身も同じ困難に直面し、最終的に自己と統合するストーリー
頑固親父が面と向かっては言えなかったメッセージを孫に宛てた手紙という形で、しかも「ナゾかけ」という手の込んだ仕掛けまである
「父さん、また木から落ちたよ。四歳のときも、十二歳のときも落ちたよね。でも、今度はもう三十六歳だ。面と向かってお礼を言いたかったんだ。ありがとう。捕まえてくれて、地面に叩きつけられる前に助けてくれて。どうして俺のことがわかったのか不思議だけど、でも、助けにきてくれたんだよね。ありがとう、父さん」
頑固親父は、この世から去ってからも、自分の生き方を悔いつつ、息子に同じ失敗はさせまいとアドバイスを書き残した
こうやって、人は後に続く人の記憶の中に留まることで永遠の命を得るのですね
ワンマンだからできた「全員経営」に出会った
福井コンピュータという社名は知っていたのですが読んでみて、非常に興味を持ちました
内容は、自伝のようなものですが、良かったのは
社員参加で、いい会社をつくろうと思ってやってきたのに「2年連続で赤字」になってしまったところから、ワンマンで改革に取り組んだくだり
社員の「善」に甘えるのではなく、報酬を天井知らずにして意欲を発露できるようにした
マズローの5段階欲求説を知っている経営者は少なくないと思います
手塩にかけた育てた仕事ができるメンバーが「金」のために転職するという現実に直面して、「欲」に訴えるという発想が凄いと思いました。結果として、今までそこそこで留まっていたメンバーの実績が一気に高まって黒字転換を果たします
今日、成果主義的なアプローチをする会社は多いですが、かならずしもうまくはいかない。それがうまくいったのは、ベースとなるソーシャルキャピタルが豊かにあったからではないだろうか?
がんばって結果を出した人が手厚く報いられることに反対する人はいないだろう。問題になるのは、プロセスや結果において、周囲が客観的に見ておかしいと感じることがまかり通ってしまうことだ。それが、おきないような何かがあったのではないかと思う
そういう意味で、セオリーはないと再確認
新たなる資本主義の正体に啓発されて、「「みんなの意見」は案外正しい」を再確認
この本のテーマは、つまるところ「民主主義」は機能するという主張だ。日本も欧米諸国のように二大政党制に移行すべきだという意見があったが、実態は難しい。日本は共和党的考え=カリスマ・エリートが民衆を指導すべきだと考えているからだ。民衆は政府に対して不平不満を漏らすだけで、すばらしいリーダーの登場を待つばかりで、自ら立ち上がろうとはしない
民衆は決して愚かではないという自覚を強く持ち、より良い社会づくりに微力でも参加しようという意思がなければ、「自分さえ良ければ」とお互いが利己的な行動をとる地獄から脱出することはできない エリートの主張として、自分のことしか考えない民衆に意思決定を任せたら、愚衆政治になるという指摘がもっともらしく聞こえてしまうが「多様性」「独立性」「分散性」「集約性」が担保されるときに賢い集団たりうると指摘している
新たなる資本主義の正体における機関投資家は意見を集約する仕組みだといえるだろう
次は、企業における説明責任と評価の重要性を説いた「まず、日本的人事を変えよ」を再確認してみよる
へのレポート
今週は、新たなる資本主義の正体から始まった。ファンドが、機関投資家をアクティビストとして選択することによって、企業経営者に対して説明責任や結果の評価を求める。こうする道が開けることによって、独善的な選択をしかねない企業に対して、野放図な資源の消費を抑制する道が開けうる
そうやってみるとファンドは、民衆が賢い選択をしうる可能性を解いた「「みんなの意見」は案外正しい」の意見を集約する機能を果たしている言えるのではないか。そこで、評価の重要性を指摘したヘイの「まず、日本的人事を変えよ」にあった民主的なプロセスを図に描いて整理してみた
民主的なプロセスは独裁に比べて、時間がかかる。一方で、説明責任を求めることで、おかしい決定がなされることを抑止する効果が期待される。分担している機能は企画立案・承認・実行・評価だよなぁと眺めてみるとこれは学習するプロセスだよなと思い至る。あ、そっか 学習する組織は民主的な組織なんだと改めて「最強組織の法則」を再確認
丸善の店頭で「新たなる資本主義の正体」という本がふと目に留まった
目次をぱらぱらとめくると市民社会と関係があるようなので、購入してみた
•1970年ごろまでは、ほんの一握りの富裕層が会社を支配していた。当時の典型的なアメリカ企業では、小口投資家を代表する金融機関の持ち分は全体のわずか19%で、人口の上位1%以内に入る金持が大半を占める個人株主には遠くおよばなかった。これと対象的に、現在では、アメリカ企業の株式全体の過半数をファンドが所有している
つまり「年金基金」を預かる機関投資家
かつて企業を所有していたのは、富裕層だったり国家だったところか
アクティビスト「ものをいう株主」というと村上ファンドのようなことをイメージしてしまいますが、これは日本にとっては不幸な出来事と思えてきます。役員会が健全な意思決定をできるよう説明責任を求め、結果の評価をし、フィードバックする存在がいなければ、自己の利益を追求して全体の利益に反する(環境破壊や偽装など)行動をして、結果的に自らも破滅することになってしまう
アクティビストが効果的な活動をすることで、一連の偽装問題なども抑止できたかもしれない
その事実の意味を市民が考えると「機関投資家」という代理人に「誰」を選ぶかが、「「みんなの意見」は案外正しい」でもふれられていたように「政治家」を選ぶ以上に重要な民主主義の手続き
