「愛するということ」ワールドカフェ終了!

APPとしての第1回目の活動「愛カフェ」が終了しました

ワールドカフェの様子は

APPのスタッフになっていただいた

今回初参加の



からも知ることができます

それにしても、誕生日祝いをしていただきましてありがとうございました

皆様のメッセージ入りのアルバムをいただきまして、準備にかかった時間を思うと本当にありがたく感動いたしました。まさしく、「愛するということ」ワールドカフェにふさわしく、愛を感じる至福のひと時でした

特に、「鈴木さんを何かに例えると?」は、自分は他の人からはそう見えていたんだーと発見があり、嬉しく感じられました


さて
ワールドカフェのテーマは、最初の対話で書くテーブルから候補をあげてもらって、投票によって「どうして他の人に関心がないの」に決まった

私のテーブルは、たまたま臨床心理士の方が2名いらして、会社についてリアリティがあまりない方でしたので、私が多くの会社で、「顔を見て挨拶しない」、「会議でも資料を見て話してばかり」という現象に「どーして?」「知りたい!」とプレゼンをしていただき、皆さんから共感をいただきました

私が「愛するということ」を選んだ理由は、前さんがくださったキミが働く理由
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にも書かれていましが、自分の心の置き方でどんなことでも、楽しく充実したものになる可能性があるってことなのです

知れば知るほど愛することができるようになります

知らないことには興味の持ちようもない

かつて、ムラ社会に生きていた時代は、人と関わらなければ、生きてゆくことさえできなかった
結婚相手も選べない。姑とも一緒に住まなければならない
仕事も親と同じことをするしかない

何とかして、好きになる、うまくなることができなければ、お先真っ暗なのだ

しかし、現在の都市ではお金があれば、人と関わらなくても生きてゆける
好きな人とだけ付き合って、嫌いな人は避けてでも生きてゆける

嫌いな人、苦手な人と折り合って生きてゆく方法がそれほど必要ではない

そうはいっても、人間はやはり社会的生き物で、人と関わりあわずに生きてゆくことはできない
人との関わりは良いことばかりではなくて、付随して嫌なところも多くある
良いところだけをとることはできない


人は、言葉の獲得によって、思考と記録によって文化と社会を育んできた
その副産物が、「私」と「自然」の間に境界を生じさせ孤独が生まれた

もちろん、動物にも群からはぐれ、いじめられ「孤独な現象」は存在する。しかし、それを思考することはない。言葉がないゆえに「孤独」という概念がないからだ

その文化と社会の最先端である「都市」において、「孤独」が先鋭化するのは当然の結果であろう

その事実と向き合うことは、アジア・プロアクティブ・パートナーズの出発点としてふさわしかったのだと思います

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このページは、鈴木利和が2009年3月 4日 14:56に書いたブログ記事です。

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