PSR(Personal Social Responsibility)という考え方

毎週水曜に松村さんとディスカッションしている中で出てきたPSRという考え方

 

松村さんの主張としては

 しかし、Time誌などで発表される今年最も目立った人で「You」が選ばれたとき、このCSRという概念が不十分になる瞬間を見たわけだ。ネット社会では、生産活動から消費活動まで、ネットを使って一人で様々なことをこなす。組織に所属する個人、もしくは組織に属さない状態での個人の活動が大きくなればなるほど、企業としていくら社会貢献をしたとしてもなかなか社会的な効果を得られにくくなっていくということだろう(企業はもちろん人の集合体であるが)。

 

私が考えるには、PSRって普通な感覚で「責任感」

より良い社会をつくることに一人ひとりが責任を持つという感覚

社会や会社が責任を持つということは、結局はその構成員である個人に責任を大切にする感覚がなければ成り立たない

 

明治維新において、日本が世界史においても稀有な「豹変」をやってのけることができたのは、当時の支配的な思想、あるいは精神であった「武士道」が「名誉」を頂点の徳とする、まさに「一所懸命」の責任を共有していた社会だったからではないだろうか

 

「ローマ人の物語」によれば、共和政ローマにおける最高の徳もこの「名誉」

 

では、「名誉」・PSRとは何か? 

Druckerは「プロフェッショナルの条件」等の著作の中で、「シュンペーターの教訓」として、自らが拠り所としていた7つの原則のひとつを紹介している。それはつまり、「何によって知られたいか」を自らに問うことだ

現代の私たちは「体の死」に心を乱されるが、自分が死んだ後にも語り継がれる「伝説」になることによって永遠の「命」を得ることを目指すならば、自ずと偽装してまで利益を得ようなどとはしなくなる。もしくは、同じくDruckerが紹介している

 「神が見ている」のフェイディアスの教訓、「完全を求めていつも失敗してきた。だからもう一度挑戦する必要があった」のヴェルディ教訓の教訓のような生き方です

最近、品格ばやりですが、品格と言い換えても良いでしょう。40年、50年かけて積み上げた上に備わるものですが、失うのは一瞬です。そういう意味で信頼とも近しい概念です。つまり、一生をかけて築きあげるものがPSRなのですね

 

そういう、人生をかけて「最高であろうとすることに責任」を持つ人達だからこそ、新しいより良い社会をつくるという大義の前に、一致団結して乗るきることができた

今また、その必要性が高まっているのではないでしょうか

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PSR(Personal Social Responsibility)という考え方は以下のブログから参照されています。

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このページは、鈴木利和が2007年11月 8日 08:30に書いたブログ記事です。

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